2014 ベンチ 2017
生まれてから今日という日まで生きてきたと確信できる証拠はどこにあるだろうか。
確かに、昨日学校へ行ったわたしは、1、2限の授業を受けた後、昼食にカップラーメンを食べて、アニメーションを作り、21時頃には帰宅して、サラダ中心の夕飯を食べていた。そしてシャワーの前に課題や諸々の情報収集をして、0時頃には寝たはずだ。そして今朝起きて、自転車に乗って学校に来て、ここにいる。
こうして昨日のことは、記憶とともに地続きに生きてきた道が鮮明に見える。では、大学に入学した時の自分はどうだろう。高校の部活帰りに食堂にいた自分は。小学校のプールの中で気泡の輪を作っていたのは。幼稚園の先生をひどく嫌って泣きわめいていたのは。
その当時の記憶は薄れ、それらの間隔は散り散りになるばかりで、自ら思い出を紡ぎ始めたりしている。こうなった今、あの頃のわたしと今のわたしが同一人物であること、23年間生きてきたことをどうやって証明すれば良いのか、いつも途方に暮れてしまう。
毎週末、大原へアルバイトに行く際にバスの窓越しに大城田町のバス停に置かれたベンチを見つめる。3年前のわたしが置いたベンチである。
それを見つめるたびに、わたしは3年前のその日へと記憶の旅に出る。ほんの一瞬だけではあるがベンチを通して確かに3年前にそこにいたという感覚が甦る。
日々の生活の中で大量の情報と感情が行き交う中、刻一刻と変化する動的なわたしに対して、そのベンチは朽ちてはいくものの、じっと動かずにそこにあり、静的なものとして過去へと誘う時間と記憶との軸となる。
それはある人にとっては山かもしれないし、ある人にとってはホームなのかもしれない。
『2years later』ビデオ 2017
2017.4