あたまーくびーかたーうでーゆび

旅の記録、レビュウ、頭のなか、文字に残します。

わたしの身体に記憶はない

大体の身体感覚はライブのようなもので、脳のメモリに文字となって変換された記憶は残せるが、その感覚自体の記憶というものはなかなか思い出せない。

 

 

例えば季節と気温についての話がある。

 

先日二週間ほどインドに滞在することがあった。ちょうどその頃は暑季にあたり、最後に訪れた都市は50度近い気温だった。以前にタイにいたときにも大分暑かったというおぼろげな記憶はあったが、数値的に言えばわたしはインドで最高気温体験を更新したことになる。ただ気温とは別に湿度は割にカラっとしていて、やはりタイにいた時の方が蒸し蒸ししていて暑く感じたんじゃなかろうか、などと思うのだが、それもやはり身体の感覚がないから比べることも出来ない。

 

日本にいるときも、冬が嫌いで、毎年その季節になると、今、夏の暑さを思い出せたらどんなに気持ちがいいだろうか、などと幾度となく考えている。もしも身体が実感として記憶することが可能であれば、冬の朝、布団から出るときだけでもいいからちょうど今の季節に朝日から感じるあのぽかぽかとした暖かさを思い出させてほしい。 

 

脳内の文字記憶とは別に、体に直接きざみ込まれた記録はいくつかある。例えば右手の平と手首に入った傷は小学3年生の時に実家の玄関のガラス扉に突っ込んで切った時のものである。

 

夏休みに近所の友だちと花火をした帰りに、最後まで一番先頭を走り切ろうとお姉ちゃんに追いかけながら走って帰ってきた矢先の出来事だった。なぜそんなことになったのか、私はガラスの扉に突っ込んだ。

 

お姉ちゃんも、中から出てきた家族も、ガラスが割れた音や、わたしの出血に驚いていたが、わたしは泣いていたのとは裏腹に、案外痛くないんだな、なんて思っていた記憶が残っている。

 

そのあとも看護師だった母が応急に手当てをし、夜間病院に連れて行かれたわたしは20針ほど縫って、帰りの車の中で傷口がズキズキし始めたことなんかは覚えているのだが、やはりその時の痛みがどういう痛みで、どのくらい痛かったなんてわたしの体は覚えていないし、蘇ることもない。 

 

文字として記憶している身体感覚や、それを通して思い出す過去の出来事や感情(これもまた文字記憶でしかないが、そこからまた新しい感情を引き出してくれたりもする)に関して「鮮明」なんて言葉を使うこともあるが、それは完全なフィクションなのだと思う。

 

そう考えると、たった今、皮のソファに肌が触れてぎゅっとする感覚や、Mac bookのキーボードをたたく時の軽くも重くもないクッと沈むようなこの感覚もいつまで覚えていられるか、という自分への挑戦であり、そのヒントになるようにここに文字として記録しておきたい。

 

 

追記。 

身体に記憶はないと書いたばかりであるが、書きながらずっとそんなことはないと思っている自分がいた。

 

それは、「匂い」ついては脳とはまた別に身体が記憶している何かがあるだろう、と確信はできないがそう思うからだ。 

 

匂いほど言葉にできないものはないのではないだろうかと思っている。そして匂いほど記憶を揺さぶり、何か感覚を蘇らせるものもないと思う。 

 

ついに昨年の冬に香水を手に入れた。香りものが好きで、実は数年前からずっと香水を探していた。百貨店に出向いては試香してみたり、ネットで記事を読んでみたりしていたのだが、なかなかいいものに巡り会えなかった。

 

大体わたしが香水を欲しい、と思うのは街中や学内、バスの中などで、ふとすれ違う人から香る香りで心の中が満たされる感覚になる時であった。その感覚は言葉に表すのは困難で、とにかくある特定の香りがわたしを陶酔したように幸せにしてくれるのだった。

 

しかし、それがなんの香りであるのか、ネットで検索をかけようとしても、言葉にしようとするとその香りの感覚はスゥっと逃げてしまい、探しすべがなかった。結局、購入に至った香水も何がどういいのかは分からないが、とにかくわたしを安らかに、そして幸せにしてくれる香り、ということだけしか分からない。 

 

また、そういった匂いが時として苦しめることもある。それもまた、なんなのかは分からないが、多くの場合は人の匂いに纏わっている。例えば、体臭や柔軟剤などの直接的な人の匂い、もしくは部屋の中やベッドなどその人の所有しているものの匂いなどである。

 

ある匂いを感じ取ると、脳内記憶を先取って、まず最初に胸が苦しくなるような感覚が襲ってくる。懐かしいような、恋しいような、もう二度と手に入らないような、切ない、そんな感覚だ。

 

だから、決して悲しいわけではないのに、涙が出そうになったりもする。感覚としては恋愛にも近い。まさに胸が締め付けられる感覚である。

 

しかし、そこには脳のメモリに保存された文字記憶などはないのだ。ただ感情だけが蘇ってきて、しかもその感情すら言い表しようがない。それでも完全に蘇ってくる、という感覚だけはあるのである。

 

一生懸命にそれが、なんの匂いで、何があったのか、もしくは誰なのかを思い出したいのに、それを思い出せたことは一度もない。 

 

つまり私にとっては、この嗅覚を通した記憶のみが、もしかすると身体の記憶と言えるのかもしれない。(もっぱら確信に至る術はないのだが。)

 

ただ蘇るその感情があまりにも強烈でリアルな感覚すぎて、わたしは上記のようにそれがフィクションだとは言えないでいる。 

 

2017.6.5