週末の道を急ぐ
バスのダイヤ時刻の変更が行われてから、少しの余裕を持って通勤できるようになった。
いつもはバスから降りて急ぎ足で降りていた階段も、今では下る前に改めて空気を吸ってみたりできる。鼻を通る緑の風が気持ち良い。
階段の最後の方にさしかかると、角に立っている無花果の木からほんのり甘い香りがしてくる。無花果の実が熟しているのだと思って覗いてみるがそんな実は見当たらない。しかし時間も待ってはくれないので無花果はさておき先を急ぐ。そんな具合で、かれこれ4年も気にしてはいるが未だに無花果のシーズンを把握できないでいる。
初めの角を曲がる頃には自分の視界の80パーセントほどは緑色になっている。とはいえ一概に緑とは言えない。今の季節だと新緑も過ぎ、緑はより一層深く、また太陽に照らされて生き生きしている様は梅雨の雨浴びを楽しみにしているようにも見えてくる。
ここまでで立ち止まることはほとんどない。時々足を止めるとするならば、それはカフェ来隣にいるラブラドールの一休が起きている時ぐらいだろう。小さい頃は通りがかる度に尻尾を振りながら近づいてきたり、吠えられたりしたが、今となっては立ち止まっても声をかけても、一瞬だけうすぅく目を開いて、あとはまたひたすら寝続けるだけである。
橋を越えて緩やかな坂を登ると、季節ごとに色を変える畑に会える。春は眩しい黄色の菜の花に始まり、緑の夏野菜、深い紫色の赤紫蘇、淡いピンクの秋桜、そして真っ白な雪景色と、そこを通ることで外から来る視覚情報と自分の体感とがぴったりと合致して初めて季節を捉えることができる。
右手に広がる杉林は夜になると闇に吸い込まれそうで恐ろしいが、所々で灯された家の灯りを頼りに歩けば、ほんの少し緊張が和らぐ。
最後から2番目の角を曲がる時に一度、時刻を確認する。日によって、そこからは走ったり、時には更にスピードを緩めて歩いたりもする。
ただし、雪が積もっている日にはその緩やかな下り坂は一番の凍結ポイントになるので慎重に行かなければならない。
最後の角を右手に曲がると、坂を登っているせいか、これから始まるアルバイトに向けた気持ちなのか、若干鼓動が早くなる。そしてどこかで憂鬱さも感じている。
山荘の階段を登り終え、玄関の暖簾の隙間から姉さんの姿が見えたなら、庭の砂利道を鳴らしている頃には、今日もやりますかぁ!、とある種の折り合いをつけ前向きな気持ちになっている。
こうしてわたしの週末が始まる。
2017.6.12